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【中国】中国では『絶歌』出版不可…殺人犯に言論の自由が存在しないワケ[2015/07/04]

1とらねこ◆EDwr815iMY:2015/07/04(土)20:13:55 ID:SxT()
中国では『絶歌』出版不可…殺人犯に言論の自由が存在しないワケ
デイリーニュースオンライン 2015.06.30 06:50

 こんにちは。中国人漫画家の孫向文です。最近、僕が気になったのは、異常殺人者である少年Aのニュースでした。
少年Aが犯した凄惨極まりない犯罪も今回、初めて知ったので衝撃を受けましたが、やはり何よりも驚いたのは、そんな殺人者が本を執筆したということです。これは中国だと、まずあり得ない話です。

 中国の場合、出版社は本を出版する際、中国共産党の検閲を受けなければなりません。そのため、殺人者の本の企画が通るはずもありません。
例えば、プロのライターが雑誌で犯罪者をインタビューするケースは多々ありますが、犯罪者自身が著者となると話は別です。

犯罪者には発言権・出版権などない

 ウイグル人のイリハムさんという方は国家分裂罪の罪を着せられて逮捕されましたが、ひとたび、こうした犯罪者と見なされてしまうと公の場で発言する権利や出版権などは全て失われます。犯罪者には発言権などないというのが、中国人の一般認識です。
ですから、中国人は、少年Aのような異常人物が本を書くなどという発想を思い付きません。

 また、仮にプロのライターが犯罪者を取材して本を出版することになったにせよ、『絶歌』に記載されているような内容は書けないでしょう。
というのも、殺人や泥棒、婦女暴行、薬物売買など、ありとあらゆる刑事犯罪の詳細な手口は、新聞や雑誌などでも書いてはいけないと定められているためです。

 これは、犯罪を真似する模倣犯が出てきたら困るためです。少年Aは、著書の中でどこで凶器を準備して、どういうふうに殺して……といった過程を事細かく描写していますが、こうした内容は全てNGです。
では、仮に中国に置いて少年Aの本を出版するとなったらどうするかというと、徹頭徹尾、懺悔する内容にするしかないでしょう。

「私はこういう犯罪をしてしまったから、何年間も刑務所に入り、何もかも失った。だから、皆さん、犯罪はしてはいけません。本当に申し訳ございませんでした」

 こうした内容を、全てライターが取材したという体裁で書くのです。これならば、犯罪抑止につながるから社会的意味があると見なされ、出版できる可能性はあります。
もっとも、これだけで一冊の分量になるのかというと、厳しいのかもしれませんが……。中国で一つの犯罪事件をまとめた本はほとんど見かけません。

 このように厳しい中国の出版事情ですが、犯罪者がテレビで晒し者にされるケースは多々あります。手錠をかけられた犯罪者が警察官に付き添われてテレビ局に現れ、カメラが向けられる中、被害者に対して頭を下げて謝り、罪を悔いるのです。
(以下略)
詳細のソース
http://dailynewsonline.jp/article/984354/
247名無しさん@おーぷん :2016/03/08(火)23:48:10 ID:UAM
アランが連続式蒸留器の開発を任せていた技師が、研究成果や有能な助手たちを引き連れて急遽英国に亡命した。
技師は親英的な自由主義者で、復古王政の反動性に露骨な批判を抑えられない性格だった。
1823年に始まったスペインへの干渉が技師の決意を固めさせた。ユルトラの台頭はもはや避けられない。
連続式蒸留器の設計案を手土産にフランスを後にし、スコットランドへ奔ったのだ。
アランには寝耳に水だった。前もって何の相談もなくアランのもとから夜逃げのように去った。
悪いことは続く。24年2月にダヴィドが観劇の帰りに車に衝突する事故で体調を崩し次の25年の年の瀬に他界。
頼りの出資者を失った。ルイ18世の崩御により、ユルトラの首魁シャルル10世が即位。
これもアランには追い討ちだ。アランは信頼していた技師の亡命で察することができる。
ユルトラが政権を奪取すれば自由主義者との対立を激しくさせ、さらに、
政府の無策が招く経済不況や凶作が重なり、民衆の暴動が頻発するだろう。
商工業者として歓迎できる明日ではない。
万策尽きたかのように悲嘆にくれるアランに、オスカルは思い切ったことを言った。

アラン、決めたよ、ノルマンディーの館を売却する。
248名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)00:59:23 ID:x2q
ジャン・フランソワは、ボルドーで古い醸造家の娘と結ばれ、二人目の男の子が生まれたばかりだ。
今後は業務を縮小し、ボルドーの蒸留所で造るアキテーヌのマールを成長させよう。
なにより私ももう70歳なんだ。少しでも寒くなると古傷が痛む。
神経痛の辛さをごまかすブランデーも最近はたいして効かない。
もうパリより北には行きたくはない。パリもできれば訪れたくないぐらいだ。
・・・落ち込むアランにオスカルはそう言った。
もともとアランの行動力の源泉は、オスカルが大事にしたいアンドレとの想い出の
ノルマンディーの館とリンゴ園を守ってやりたいというモチベーションだ。
それをじゅうぶんに知るオスカルが、アランにノルマンディーに所有する土地と建物を売ると告げるのは
軽い気持ちからではないだろう。それはわかる。
だがアランも簡単に、そうだなそうしよう、とは言えない。
オスカルは言葉を続ける。
アラン、私がジャンを産んだのは35歳、そして今は70歳、アンドレが天に召されてもう35年が過ぎた。
お前との人生のほうが長い。アンドレも天国で怒っているだろう。
法律上は未婚のままで老婆にした、何事か、俺がアランに託した大事なこのオスカルを・・・と。
249名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)12:38:39 ID:x2q
なんだか話の方向が変になってきやがった。俺にどうしろと言いたいのかはまあ察しはつくが・・・
オスカルの話を聞きながらアランは思う。ルイ18世の計らいでアンドレはジャルジェ家歴代当主に列した。
オスカルもジャルジェ伯爵夫人だし伯爵未亡人であり女伯爵だった。
ジャン・フランソワは世帯を持つと襲爵し、貴族院の議席も勧められている。
しかし、貴族界の名誉は名誉として、官公庁の実務は事実で進められる。
オスカルは婚姻届けという書類は出したことがない。
縦割りのお役所仕事で市庁舎の窓口ではオスカルはずっとマドモアゼルなのだ。
フランス語圏でも異同はあるがフランス本国では既婚か未婚か判らない女性はマダムと呼ぶのがマナー。
2012年にはついに公文書におけるマドモアゼルが禁止となり女性は全員マダムとなった。
だが話はその187年前だ。書類のわずらわしさ、社会の面倒臭さは半端ではない。
しかし、本当にそんな理由で年寄りどうしの男女が夫婦になるのか?
ばか、いい加減にしろ、アラン班長!
オスカルも怒らざるを得ない。
私がこんなだからしようがないが、アンドレもそうだったが、アランお前もか!
なんで女の私のほうから愛していると言わせるんだ?
250名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)15:11:41 ID:x2q
あの世に行った時にアンドレが文句を言ったら決闘でもなんでもしてやるよ、
アランらしい乱暴な言葉にオスカルも愉快に笑い、天国での元気な喧嘩が楽しみ、と二人は抱き合いキスをした。
オスカルはソワソン伯爵夫人となった。ソワソンの家名はジャン・フランソワの次男に継がせることで王室も二人を祝福した。
アランはさすがに伯爵位は嫌がったが今までのオスカルに合わせた称号だ。
革命前とは違い、爵位に実際の領地は伴わない。王様はあのジャガイモ畑に名前をくださったんだよ、
老夫婦二人だけで耕したり育てたり収穫したりのできるだけの畑を買ったがその畑を指してオスカルはアランを納得させた。
オスカルはルイ18世には親しく仕えたが、シャルル10世とは距離があった。
アングレーム公は父王とは違い自由主義への理解がありオスカルの喜びそうな夢を語る。
だが、民主的な王でも周りが王党派ばかりではどうしようもない。
シャルル10世は自身も王党派の領袖である。オスカルが親しく近付ける間にはなれない、・・・はずだった。
ところがそのシャルル10世がオスカルにしか頼れない深刻な問題が起こったのだ。
それはオペラ座から出てきたベリー公が暗殺された事件に始まる。
251名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)16:17:27 ID:x2q
1820年2月、まだルイ18世の御宇で起こった不幸な出来事であった。
暗殺されたベリー公は、後にシャルル10世になるアルトワ伯の次男で、アングレーム公妃マリー・テレーズ王女には義弟となる。
アングレーム公夫妻にはもはや子が期待できない。アングレーム公が継いだ王位を次に待つのはベリー公だった。
ベリー公が暗殺された時、その公妃マリー・カロリーヌ王女の産んだ嫡子は女の子が一人だけ。サリカ法のフランスでは女子の王位継承はありえない。
だがその時、夫ベリー公を失った公妃はベリー公の子を身籠もっていた。
ルイ18世もアルトワ伯も産まれてくる子が元気な男の子であることを祈るしかない。
ベリー公妃の心身も案じられる。
そんな二人は、マリー・テレーズ王女が口にした一言に飛び付いたのだった。

ベリー公妃マリー・カロリーヌ王女のそばにオスカルを。
252名無しさん@おーぷん :2016/03/10(木)17:21:07 ID:x2q
産まれた子が男の子だったから王室の喜びようは計り知れない。
オスカルはブルボン王朝の救い主のように感謝された。
オスカルもアンドレの死後にアンドレの子を産み育てたのだ。ベリー公妃の支えとならぬはずはない。
マリー・テレーズ王女もベリー公の忘れ形見である姪と甥に実の我が子のような愛を注いで面倒を見た。
一つにはオスカルが宮廷から遠ざかっていく寂しさに堪えられないマリー・テレーズ王女が
オスカルを引き止めたい一心でこの仕事にオスカルを就かせたのかも知れない。
そんなわけでシャルル10世もオスカルには頭が上がらないのだ。
アランは王党派嫌いで徹してきたから、シャルル10世には、英国のリチャード3世ぐらいの悪いイメージがあった。
しかしオスカルに連れられて謁見すると街のどこにでもいそうな子煩悩や親バカのようで気が抜けた。
王は気さくに振る舞い、ソワソン伯に木工を教わりたい、と親しげにアランに話しかけたりする。
かつて、英国のような王になるぐらいなら山で木を挽いているほうがまし、と宣った綸言が広まっている。
アランの指物師としての過去を知っているようだが、
王も自分が山で木を挽かねばならぬ日が近いことを予感しているようだ。
253名無しさん@おーぷん :2016/03/11(金)02:36:48 ID:PXo
マリー・テレーズ皇女はパルマ女公となっていた。ナイベルク伯との間に4人の子をもうけ、
1824年、5人目となるはずだった子を流産したことをオスカルは皇女の手紙で知った。
これまで伯とは正式な夫婦ではなかったがこの9月にフランツ1世の承諾を得てやっと正式に結婚したという。
古傷の痛むオスカルをいたわり、自分も療養したことのあるエクス・レ・バンでの湯治をオスカルに勧め、
パルマにも足をのばして訪ねてきてほしい、いつでも歓迎する、と書き添えたりした。
オスカルも皇女が懐かしい。ジャン・フランソワと別れさせられた後も、レティツィアに次ぐ姑のように頼られた。
流産した後の皇女も心配だ。見舞いにも行きたいと思う。
ジャン・フランソワは、アランと二人で新婚旅行としてエクス・レ・バンやイタリアを周ってくるように提案した。
パルマやフィレンツェやローマなどを巡ってきたらいい。アッシジにもお参りしたい。
擦れ違う誰の目にも新婚旅行には見えないだろう。
当人たちも今更ハネムーンでもない。
アッシジやローマといった祈りの場所を予定に含めたのは
アンドレを始めとする先に帰天した人々を偲ぶ鎮魂の旅としたかったからでもあった。
254名無しさん@おーぷん :2016/03/11(金)07:32:04 ID:PXo
エクス・レ・バンは、パルマ女公マリー・ルイーズ皇女がナイベルク伯と恋に墜ちた罪な場所でもあった。
皇女が産んだナイベルク伯の子のうち、最初の二人はまだナポレオンが存命中に産まれている。
パルマでは訪れたソワソン伯爵夫妻を招いて晩餐会が催された。豪華な料理の並ぶ前で、
伏せっていた頃は、どんな美食も役に立たず、ただパルミジャーノ・レッジャーノのリゾットに救われたと皇女は言った。
プロッシュットやクラテッロも旨い。昔、オスカルに命を助けられたスペインのアルデロス公が
ジャルジェ家に宛ててスペインからしばしば贈ってきたハモン・イベリコやハモン・セラーノを思い出して比べてみたりする。
ローマに赴いたらジョゼフ・フェッシュ大司教の館に住むレティツィア皇太后を訪ねるように、
と皇女はオスカルに促した。皇女にとってもオスカルにとっても
レティツィア皇太后は逢えば元気を分けてもらえるあんまぁなのだ。
皇女と皇太后は今でも手紙のやりとりはしているが、最近は皇太后の視力が著しく衰え
実弟の大司教に代筆や代読を頼みきっているという。
たまにオスカルの思い出も書いてくるらしい。オスカルも再会が楽しみだ。
早くあんまぁに逢いたい。
255名無しさん@おーぷん :2016/03/11(金)12:00:39 ID:PXo
ナイペルク伯はフランスとの戦いで右目を失っていた。
ナポレオンに恨みを持っている。
アンドレは黒い騎士との戦いで左目の光を失いさらに右目も失明した。
だが祖国の未来を見ることができていたアンドレは黒い騎士のベルナールに恨みはなかった。
ナイペルク伯の心の目が天に開かれ、広い心が育ったなら、とオスカルは皇女を哀れんだ。
ウィーンにいるナポレオン2世は父ナポレオン1世を尊敬するようになっている。
ローマにいるレティツィア皇太后も孫のナポレオン2世に息子の栄光を取り戻す期待を寄せているもよう。
マリー・ルイーズ皇女は今のナイペルク伯と伯の子どもたちとの家族を大事にしたい気持ちが強かった。
夫のナイペルク伯に気を使うと、ナポレオン2世とも距離が広がり、レティツィア皇太后にも気軽に逢いに行ける立場がなかった。
2世への母としての愛、皇太后への嫁としての愛が消えたわけでもない。それだけに辛さもひとしおだろう。
昔、マリー・アントワネット妃への憎悪に満ちた非難をアランから聞かされた。
だが、そんなアランが今ふと呟いた言葉にオスカルは軽い驚きを覚えた。
ハプスブルク家のお姫様たちはみんな大変だな、みんな可哀相だ・・・
256名無しさん@おーぷん :2016/03/12(土)23:06:18 ID:Sab
オスカルとアランはパルマからジェノバに入った。オスカルの父の終焉の地だ。
そのあと船でトスカーナのリヴォルノ港に入りフィレンツェを目指した。
マリー・ルイーズ皇女は始めトスカーナの統治を希望したが叶わなかったのだった。
世俗の求める夢の跡を追うかのように豪勢な歴史に飽き足りた二人はウンブリアに入りアッシジに滞在。
打って変わってジョットの絵などを通し聖フランチェスコの世界に触れ地上の空しさを思い知る。
ローマに入りバチカンに天を見られるかと期待したがやはりそこもこの世でしかなかった。
むしろレティツィア皇太后とフェッシュ大司教が用意してくれたお茶とお菓子の清楚な接待に心が休まり、
やっと神の国が遠くないことを教わった気分になれた。
レティツィアは、皇女の健康を心配していたが、オスカルから元気である様子を聞かされて安心し、
あのこは名産のチーズですっかりパルマの血と肉になった、と笑った。
でも私はこの年齢になってもコルシカ人以外の何者にもなれない、と自嘲する。
オスカルは、陽気な強さが眩しい。自分の老いも吹き飛ばされる明るさに包まれた。
あんまぁは介護が必要なほど肉眼は弱っているが魂の視力に衰えはないのだ。
257名無しさん@おーぷん :2016/03/14(月)05:58:59 ID:2Mc
ナポレオンの一族はコルシカに帰れない。かつて島内で独立急進派と独立慎重派が対立、
ボナバルト家は慎重派に立ち急進派から追われるように島を脱出した。
ナポレオンがフランス皇帝になると島の人々の多くがコルシカを裏切った郷土の敵と憎んだ。
レティツィアはこんなにもコルシカを愛しているのに。
大司教が弾くピアノに合わせてコルシカの民謡を二人で唄って聴かせてくれた。
二度と帰れぬ故郷なればこそ郷土愛が強まり想い出の景色はより鮮明さを増して心に蘇る。
ノルマンディーでアンドレを背負い続けたままでアランと一緒になるのはアランに申し訳なく感じた。
アランはアンドレの代わりではなくアラン以外の誰でもないのだ。
ノルマンディーの土地と建物を他人に売ってもあの景色は変わらずに心にある。
アランはそんな消えない想い出ごと私を受け入れて妻としてくれた。
肉眼で見えなくなって心に強く見えてくるものがある。肉眼が衰えて強まる想いの形が現われる。
そうか、蛍の舞う森でアンドレと結ばれた時、アンドレの平安な涼しい笑顔は、
奥深い確かなものが見えていた安心からだったのか。
失明したアンドレを可哀相に思ったが実はアンドレのほうが見えていたのだ。
258名無しさん@おーぷん :2016/03/15(火)19:08:31 ID:jSv
皇太后は健康のために習慣としている午後の昼寝のため寝室に向かった。
名残惜しく別れの挨拶を交わし、再会を固く約束した。
だが、お互い、おそらくこれが最後の面会になるだろうという思いは禁じ得ず、
天で皆と逢える日の到来を祈って涙と笑顔で別れた。
オスカルが所有していた絵画の何点かを名画の収集家でもある大司教が良い値で買ってくれていた。
大司教は生まれ故郷のコルシカ島アジャクシオに美術館を建てたいと願い1806年から建設を始めた。
27年になんとか美術館としての形はできたが諸般の事情で正式な開館が遅れている。
オスカルの肖像画も収蔵したいがまだ環境が不安定のうちは
この館に飾っている、とその飾られている部屋に案内しようとした。
オスカルはアランを気遣い遠慮をしようとしたが、アランが、
ここであの絵にまたお目にかかれるとは!ぜひ若き日のオスカルにお目通りを!
と大司教の手の先を大喜びで歩いて行こうとする。
アルマンが描いたオスカルはいた。マルスのオスカルも、花嫁のオスカルも。
だが、まだそこには無かった。
アンドレが見た、白薔薇に満ちたアラスで月桂樹の枝を編んだ冠を戴くオスカル、
それが私たちにはまだ見られない真実の絵。
259名無しさん@おーぷん :2016/03/18(金)05:42:23 ID:jqy
イタリア旅行の最終目的地はナポリだ。1787年に訪れたゲーテが絶賛した街として楽しみにしてきた。
それまでは路地の屋台で売られていたピッツァをオステリアやトラットリアのような形で
味わえるように試みた店が登場し話題になっていたところに二人は訪れた。
さっそく開店したばかりの世界で初めてのピッツェリアに繰り出し、腹拵えの二人。
生粋のピッツァ・マリナーラは労働の後の漁師向けに味の濃さを覚悟したが、
果たして二人のフランス人旅行者の舌にも違和感を感じさせない。
腕のいいピッツァイオーロが来店した客を瞬時に見極め最適の味付けを凝らす職人技だろうか?、
それとも、歳を取った二人の味覚障害気味の舌に丁度よく感じたのか?。
おいおい、それを言うなよ。
ラクリマクリスティを飲んだゲーテがこの酒に感動し、キリストの涙の由来を知って、
主はどうして我がドイツに涙を落としてくれなかったのか、と嘆息したという。
だが、アランは、ピッツァにはバン・ムスーのような酒と合うな、などとマリアージュをのたまう。
まだアスティで造られる前なのでイタリア産の製品化されたスプマンテはなかった。
アランにあってはゲーテもかたなしだなとオスカルが笑った。
260名無しさん@おーぷん :2016/03/18(金)14:44:17 ID:jqy
オスカルもゲーテには一つ文句がある。ゲーテの「イタリア紀行」にはシチリア島の記事があり、
シチリアなしのイタリアというものは、われわれの心中に何らの表象も作らない。
シチリアにこそすべてに対する鍵があるのだ・・・と書いたりしている。
だがゲーテのシチリアへの魅力の比重は地質学や植物学のようなサイエンスな部分で重いようだ。
どうしても予算の都合などもあり、今回の旅はナポリからボルドーの月の港に向けて帰国の途に付かなければならない。
ここまで来たのにという想いを胸にシチリア島の訪問は諦め、ゲーテの本で慰めを、と開いたが、
ゲーテはシチリアの都市の中でシラクサを訪れなかったのだ。
今はこれといった見るべき物は何もないと聞いたから寄らなかったというが、
オスカルはシラクサの街に聖ルチアを偲びたかった。
この聖女については神話性の濃い説話が伝わるばかりでゲーテも興味が湧かなかったのだろうか。
昔、フェルゼンからも聞いたことがあったが、ルター派のスウェーデンでも彼女への崇敬が深く彼女の祭があるそうだ。
この旅では肉眼で見えなくとも心の目が肉眼以上に見せる景色に想いを馳せた。
聖ルチアの聖地で目の聖女の彼女に祈りたい。
261名無しさん@おーぷん :2016/03/19(土)00:13:00 ID:v9U
オスカルたちが、ゲーテのイタリア紀行を手に旅行をしていることを知ると、
パルマのマリー・ルイーズ皇女も、ローマのレティツィア皇太后も、
ウィーンからのゲーテに関する同じような情報をオスカルに聞かせた。
「ファウスト」が完結したらしいという。ゲーテが1770年の21歳で書き始めてからの、
実に60年をかけて完成した戯曲となる。
来年には清書が済み、出版はまだ先らしいが、パルマやローマにも話題が広がっていた。
ファウストが悪魔メフィストフェレスとの賭けに負け地獄に墜ちると思いきや、
グレートヒェンの霊の執り成しで救われ、ファウストは天へと高く上げられる。
永遠にして女性なるものが我らを引き上げてくれる、という結びのもよう。
永遠にして女性なるもの、それは、私が幼い頃に父から奪われそうになり、
そして、無くすこともできず、時には抗い、時には助けられ、何か自分の中で距離を持ちながらも、
ついには愛する男に全てをあげる気になったときに包まれきってしまったもの・・・そんなふうに思う。
シラクサを訪ねずに、シチリアを判りきったように書いたゲーテであったが、
シラクサの聖ルチアが教える光にと、別の旅路を辿って至ったような気がした。
262名無しさん@おーぷん :2016/03/20(日)02:18:32 ID:4Uv
アランは、オスカルとは違い、ドーバー海峡の向こうからもたらされた別の情報に思いを巡らせていた。
アイルランドのイオニアス・コフィーという人物が完成させた連続式蒸留器が特許を得る準備中という。
さすが、古い国際港ナポリだ。情報が早い。アイルランドもナポリもカトリック圏なのが早さの一つの理由だろうか。
スコットランドのロバート・スタインが発明した連続式蒸留器をコフィーが改良したのだという。
スタインのもとで開発に携わったフランス人技師はフランスでアランに雇われていたのだった。
悔しい気も僅かに湧くが、研究熱心なあの技師の活躍を思い、
あいつめ、本領を発揮できてよかったな、
と祝ってやりたい気持ちもある。
少々高い気もしたが、バン・ムスーを注文しオスカルと乾杯した。
ドン・ペリニヨンは英国から輸入された発砲酒を参考に、英国製のガラス瓶やコルク栓を使ってシャンパンを発明したという。
フランス人の酒商として英国にいい恩返しができた、そんな余裕の持てる穏やかな心がアランにも熟していた。
ドン・ペリニヨンは失明していて嗅覚と味覚が他人よりも研ぎ澄まされていたという。
アランもまた、この旅で聖ルチアの光に浴された一人だった。
263名無しさん@おーぷん :2016/03/22(火)23:32:48 ID:0KN
オスカルもアランも別のことを祝っているようで、実は違いはないのかもしれない。
エスプリに乾杯しているのだ。精神、スピリッツ、アルコール・・・。
カナの婚礼でイエスは瓶の水を上等の葡萄酒に変えた。
最期の晩餐で葡萄酒は活ける神の血となった。
昔、宮殿で観たヴェロネーゼの絵はでかかった。カナの婚礼とレヴィ家の饗宴。
ナポレオンがベネチアから持って来させた。ベネチアが返せというが大きすぎて絵が痛むのを理由にカナの婚礼を返さなかった。
どうだろう。渋々返したレヴィ家の饗宴のほうが大きかったという。いつの間にかうやむやでカナの婚礼はずっとフランスにある。
レヴィ家の饗宴は実は最期の晩餐を描いた絵だったが、滑稽に見える余計な人物や不要に見える犬などが書き込まれていて、
ヴェロネーゼはこの絵のために異端審問官の裁きを受けるはめになった。
やむを得ず最期の晩餐ではなくレヴィ家の饗宴と題を変えたが、ヴェロネーゼには同じことだったのだろう。
シチリアに行けなかったことよりベネチアに寄らなかったことが悔やまれる。
ヴェロネーゼの最期の晩餐に再会したかったし、少し足を延ばせばパドヴァにジョットの描いたカナの婚礼が待っていた。
264名無しさん@おーぷん :2016/03/25(金)23:49:21 ID:pi4
ファウストは、憂いの精によって失明しなければ光を呼び求められなかった。
呼ばなければファウストを引き上げるグレートヒェンは応えなかっただろう。
ファウストの人生では自分を救える何の要因も少しの能力も見られないのだ。
そんなファウストを引き上げるのは引き上げるがわが救いたくてしかたがない
量ることのできない光明にほかならない。
ヴェロネーゼの最後の晩餐のテーブルはとても小さい。そして周りは余計な事物で囲まれ
イエスと弟子たちの食卓は今にも埋もれてしまいそうだ。
だが、求める者は探って見つけ出す。
なによりその食卓には異邦人たちを見つけ出して助け出してやりたいという強い愛の力で溢れている。
ファウストの人生には世俗的な余計な事物で占められ見えすぎるために
清らかな光明が遮られきってしまっていた。
だから救われる前提として遮る闇でしかない肉眼の視力が無くなった。
視力を奪った憂いは死を兄弟とするが、奪われたファウストはグレートヒェンが姉妹となってくれた。
あとはファウストが、十字架に架かったイエスの右側に架けられていた強盗に倣い天国泥棒になるのだ。
永遠の救いの光を浴びるためには瞼を閉じて観なければならない。
265名無しさん@おーぷん :2016/03/27(日)08:34:11 ID:boA
ソワソン伯爵夫妻は旅行中に滞在する国の宮廷には挨拶に訪れる。
宮廷のサロンに顔を出すのはフランスの情報が入手できるからだ。
情報の正確か事実と異なる噂話かの判断は自信があるオスカルだ。
気にすれば旅どころでもないが無知に過ごすのも不安でならない。
出発するころ辺りからブルボン朝の崩壊が近いことは察せられた。
旅立つ日にはまだ白い地色に王家の紋章のフランス国旗だったが、
ナポリの港には浮かぶフランスの船には三色旗がはためいている。
シャルル10世は孫が王としてアンリ5世になることで退位を決めたが、
王太子がいるのにそれを跨いで孫が王となるのは法律に違反する。
シャルル10世がまず退位宣言に署名してフランス王国の王を退位、
直後にルイ19世になった王太子が退位宣言に署名をして退位した。
その間、ルイ19世は、ほぼ20分だけフランス王国の国王であった。
そして妃のマリー・テレーズ王女は、ほぼ20分だけ王妃となった。
だが、次のフランスの王にアンリ5世が即位することはなかった。
王として即位したのはオルレアン家のルイ・フィリップ公だった。
前王家の人々は国外に退去し自由と平等と博愛の三色旗が蘇った。
266名無しさん@おーぷん :2016/03/27(日)09:27:34 ID:boA
オスカルとアランは七月革命を異国で過ごした。祖国の変革に距離を置いた。
息子ジャン・フランソワに家庭と事業を任せられる安心もあった。
あの子なら国に大きな変化があってもしっかり守り乗り切れる。
オスカルはブルボン王室にはよい隣人であり続けたかったが、今度ばかりは善きサマリア人にはならなかった。
グレートヒェンがファウストを助けたのは彼の隣人だったからなのだろう。
キリストは助けるべき隣人の信仰する宗教も所属する政党も問わせない。
相手が苦しんでいて助けを求めていれば手を差し延べて最善を尽くせと勧める。
その時に隣人であったなら、そうしたいと願い行動できないなら、キリストとは関わりが全く無いことになる。
サマリア人が道で出会った追剥ぎに奪われ倒された人は善人か悪人かは判らない。
悪の報いを受けてそんな目にあったのかも知れない。だが、キリストはそんなことに思いは向かない。

オスカルは、フランスのあるべき未来に違う形を夢見るマリー・テレーズ王女ではあったが、
王女の隣人としていつか再会したいとは願う。
しかし七月革命の時にそばにいたとしても、もう味方はできなかった。
できることは異国の空の下に旅人であることだ。
267名無しさん@おーぷん :2016/03/27(日)12:32:08 ID:boA
ナポリの港町が魅せる眺めは評判以上に美しいが
今ならボルドーの月の港のほうがきれいに見えるかも知れない。
私たちは三色旗が国旗としてはためく祖国に帰る。三色旗に彩られたフランスが待っているのだ。
三色旗で満たされた港の美しさならこのナポリにも勝てる。
三色旗のもとで闘った自分たちの目には他には代えられない自由のふるさとなのだ。
港で出航を待つ間、周りから同じ歌が聞こえてくる。
ナポリ方言の漁師言葉で唄われる民謡の歌詞はよく意味が伝わってこないが
聖ルチアの名が何度も謳いあげられる。
ナポリを故郷とする人々がその素晴らしい景色への愛を現す歌らしい。
聖ルチアよりその名を賜った港を称えているのである。
聖ルチアの祝日が過ぎてまだ間もないが、
その祭の余韻を味わいながら、
地元の船乗りなどが憩いの一時を聖ルチアの歌で寛いでいるようだ。
心の目にも様々に豊かな成長を感じた旅だったが肉眼にも確かな恵みを賜った。
そして町中で耳にした聖ルチアへ捧げられる歌声とともに失われることのない想い出となった。
固く愛し合う二人が笑いながら乾杯したときに漂ったバン・ムスーの香りと、
焼きたての熱いピッツァ・マリナーラの味とともに。
268名無しさん@おーぷん :2016/03/31(木)02:39:58 ID:g1u
ルイ・フィリップ王の王妃マリー・アメリー王女はナポリを首都とする両シチリア王国の王女である。
母親のマリア・カロリーナ皇女はマリー・アントワネット王妃の実姉であり、
マリー・アメリー王女はルイ19世王妃マリー・テレーズ王女とは従姉妹となる。
ナポレオン帝政時代にルイ・フィリップ王はシチリアに亡命。住まいはパレルモのフェルナンド王の別荘だったが、
この地でフェルナンド王の王女と出会って結婚したのだ。
オスカルとアランは、はからずも新しい王妃の実家を訪問して帰国という形となった。
フェルナンド王やマリア・カロリーナ王妃から託されたことづてや王妃への手土産を、
帰国の挨拶に参内したオスカルから受け取り、マリー・アメリー王妃はたいへん喜んだ。
ルイ・フィリップ王の父親である平等公には若い頃にさんざん辛酸を舐めさせられたオスカルだが、
国民公会の時代、息子はジャコバン党の革命軍に所属し前線で命を賭けて勇敢に活躍するなど、
父のような陰湿さは見られない人物である。真摯な男でもあり、彼の王座に取り立てて不満はない。
パレルモで彼に出会った箱入り娘の王妃も、
彼の勇ましい経歴がまるで白馬の騎士のように頼もしく映り惚れたらしい。
269名無しさん@おーぷん :2016/03/31(木)07:45:12 ID:g1u
フランスの王朝交替は、両シチリア王国の王室を実家に持つ妃としては、叔母が勝って姪が負けたとも言える。
アンリ5世の母親である故ベリー公の妃カロリーヌ王女は、両シチリア王国の前国王フランチェスコ1世の王女。
マリー・アメリー王女はフランチェスコ1世の姉なのだ。
両シチリア王国の前国王は11月8日に崩御し、即位した新国王フェルディナンド2世はマリー・アメリー王女の甥、
亡命したアンリ5世はフェルディナンド2世の姉の子で、両シチリアの新国王には甥。
両シチリア王国にとっては王が伯父として臨めるアンリ5世のほうが有り難かったかも知れない。
オスカルも、ベリー公が暗殺された後に傷心の公妃の側近となって面倒を見たカロリーヌ王女に愛着はある。
だが祖国の自由を強く望むオスカルにはマリー・テレーズ王女やカロリーヌ王女に従ってアンリ5世を擁することはもうできない。
ルイ・フィリップ王にもそれほどの期待はないし、老齢なオスカルにはもう政治に近付く気もないが、
子や孫が誇を持って愛する祖国フランスは少しでも時代に立ち遅れてはならない。
絶対主義など神話なのだ。歴史は自由主義に立つ立憲君主制での前進を求めている。
オスカルはもう迷わなかった。
270名無しさん@おーぷん :2016/05/01(日)22:27:52 ID:SkY
アランは新政府の中心者である銀行家ラ・フィエットに見込まれ何度もパリに呼ばれるが
老齢であることを理由に断り続けていた。
オスカルは、まだ老け込むには早いだろうとアランにパリ行きを勧めるが、
オスカルの足は誰が見てもすっかり弱ってきており、歩行に介護を要しつつある。
アランがラ・フィエットの顧問団に参加するとしてもパリにはついていけない。
オスカル自身も、アランに付き添いパリに行ってもアランの助けはできないばかりか
返って自分が足手まといとなりそうな気がしてしまう。
アランはオスカルを一人置いてパリになど行く気にはとてもなれなかった。
近頃は、オーク樽の豊かな廃材を材料に、パリにいた時代に
励んだ指物の腕を想いだしながら家具作りをするようになった。
老後の趣味として始めてみたがなかなか作品の評判がいい。ただで譲っても構わないが
他の家具職人の稼業の妨げとなるのも不本意なので売るようにすると
たちまち工房は多忙を極めるようになった。
アランは退屈を知らない。もともとオスカルに座り心地のいい椅子や
使いやすい丈夫な杖を作ってやりたくて再び鋸を持ち始めたのだ。
オスカルは、まだ足腰が動くうちに行きたい場所ができた。
271名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)08:05:46 ID:jxd
オスカルはヴェネツィアを訪れたかった。その願いについてはしばしば周りも聞いていた。
だが、アランと一緒ではなく一人旅がしたいという。
さすがにオスカルではあっても従者を一人も伴わずに旅などできる年齢ではなかった。
それで、もう何年も夫婦で仕えてくれている召使の二人を伴いたいと望んだ。
その二人は互いが独身の頃からジャルジェ家に仕えていて、
相思相愛の仲を気付いたオスカルが娶せてやったような夫妻だ。
今まで病気一つせずアランやオスカルへ主人として以上の愛をもって働いてくれている。
健康で深く愛し合っている二人ではあったが残念ながら子がなかった。
二人に慰安旅行をさせてやりたいが休みを与えても働くことが何よりの喜びとばかりに年中無休で励んでくれる。
一人旅の気分を味わいたい女主人の世話という形で旅行を楽しませたいとオスカルは考えた。
アランと一緒に行かない理由にも幾つかある。
一つには、自分がアランと行動を別にして旅に出れば、アランがパリに行きやすくなる。
一つには、ヴェネツィアでオスカルがひそかに逢いたい婦人がおり、
その婦人の家族との関わりは、アランの政財界での影響がよくないほうへ傾くおそれがあった。
272名無しさん@おーぷん :2016/05/03(火)11:09:02 ID:jxd
オスカルの、従者を務める夫婦への想いを聞くと、アランもオスカル一人だけの旅立ちに賛成せざるをえない。
オスカルはむしろ従者夫婦が気軽に楽しめる旅行のための添乗員を務めようと言う。
欧州のサロンを素通りできぬソワソン夫妻の従者では慰安どころではない。
オスカルが一人であればこそ召使夫婦の慰安旅行が成立するのだ。
この夫婦は子供のころに実家を戦火に見舞われ家族を失い天涯孤独だったが、
引き取った主家の配慮で人並みの教育は受け有能な使用人であった。
だが、外の世界に不馴れであったから二人だけの国外旅行など思いも寄らなかった。
オスカルの身体上の介護も任せられるし、オスカルも従者夫婦に良い想い出を遺せてやれるだろう。
アランも快く旅行を承諾してやった。
オスカルは感謝した。だが、逢う約束の婦人については言わなかった。
周りにもできるだけ気付かれぬよう宛先がゴリツィアの手紙を送ったりしていた。
どこをいつ通過するか、到着はいつごろか、宿泊の場所や訪問先など、
オスカルは前もって緻密な計画を練っているようだ。
ヴェネツィアとゴリツィアとの間が遠いか近いかはその時その人その心によるが
遥かかなたという距離ではない。
273名無しさん@おーぷん :2016/05/08(日)05:38:07 ID:7Ko
考えてみると従者を務める夫婦には旅に添乗員など必要はないのかもしれない。
この時代、ヨーロッパ内の歴史と伝統のある有名な観光地では、
標準フランス語の読み書き会話・加減乗除がネイティブにできて、
みなり立ち振る舞いが紳士淑女として申し分なく備わり、金払いもよければ、
どこであろうと不自由なく楽しめるだろう。
夫婦はいずれも四十近くだが、アランがパリで事業に励んでいた頃に商売を助けて
駆け引きの場数を踏んできたから、生粋のパリ市民としての知識や教養も高い。
むしろ、アランのどこかぶっきらぼうな部分を補ったり、オスカルのせっかちな欠点を抑えたり、
主人の夫妻よりよっぽどしっかりしている二人ではないか。
この夫婦は、オスカルがヴェネツィアでどうしても成し遂げたい難しい願いのあることを察し、
そのために自分たちが必要であることが判ると、その事情も問うことなく
オスカルに協力する気になったのだ。
オスカルも旅の供をしてくれる夫婦の心根に気付くといっそう嬉しくなる。
自分はよい隣人を持てた。そんな恵みの素晴らしさにまだまだ気付けずにいる。
まだ気付けない多くの恵みへの感謝と、今度の最後の旅の加護を神に祈るのだった。
274名無しさん@おーぷん :2016/05/16(月)00:13:32 ID:Qpy
ほぼ予定通りでヴェネツィアに着いた一行はこの古都に十日間滞在する計画。
宿泊するホテルは一緒だが日中はオスカルと従者の夫婦は別行動を執る。
夫婦はオスカルと離れてヴェネツィアや隣接する名所旧跡を巡り名店を訪ねたりする。
オスカルは朝食を済ませてから雇人に付き添われて出掛け、夕方に迎えの者が来るまで一つの場所にいる。
ヴェロネーゼの描いた「レヴィ家の饗宴」の飾られた壁に向かって置かれてあるソファだ。
座る者はちょうど「レヴィ家の饗宴」を眺められる位置に居る。
職員には、自分を訪ねてくる人がいるかも知れないので、
その時は案内をしてくれるよう頼んでいる。
オスカルはゴリツィアまでは行けない。逢いたいその人への手紙にも
何日から何日までの予定でどの時間にこの場所に居るとは知らせたが、
ぜひ逢いに来てほしいとは遂には書くことができなかった。
だが、直接的な表現は避けざるを得なかったが気持ちは伝わったかも知れない。
相手にも、自分とあからさまに逢えない立場や事情もあるだろう。
偶然、同時期にヴェネツィアへの巡礼に訪れた二人が、たまたま出くわした形なら問題もない。
手紙には、暗にそのような再会を促すような文を加えた。
275名無しさん@おーぷん :2016/05/30(月)11:50:15 ID:rSh
オスカルの座るソファの側にある小さなテーブルにはスコルゼの水の入ったデカンタとグラス、
ペグ・ソリテールの盤などが置かれている。
僅かに空いた一角に菓子や果実の入った小皿が加わることもあった。
だがヴェネツィアに居る間、オスカルは正式な昼食を摂ることはなかった。
ヴェネツィアに来て初めて飲んだが、舌や喉が気に入ったこともありかなりの量スコルゼの水を飲んでいる。
フランスではシャテルドンといったようなミネラルウォーターもたまに飲んでいたが、
若い頃から水を飲むよりシードルなどで渇きを癒してきたようなところがあった。
生涯でこんなに水ばかりを飲んで過ごした日々はないだろう。
座ってばかりだと体にも悪いので、小用を足しにソファを離れる時など、
わざと遠回りをして建築の意匠や他に飾ってある絵画や彫刻を眺めて回りながら戻る。
目に負担をかけぬよう読書はしない。愛読書も持ってこなかった。書架のある場所にも近付かない。
朝、宿舎からソファの場所に来て座ると、まず母の形見でもあるロザリオを手に、
声に出さず十五連の祈りに集中して心を落ち着かせる。
いろいろと沈思黙考に浸り時を過ごすが思い煩うことは福音書でイエスが禁じている。
276名無しさん@おーぷん :2016/06/15(水)10:58:11 ID:TXZ
母の形見とは言え、鎖が切れたりして何度も修理をしている。
母の存命中からある球も半分以上残っていないかも知れない。
確かなのは純金製の十字架だけはずっと母が祈っていた時の十字架のまま。
負傷した身重の体を実家に担ぎ困れた時も、その十字架に母は口付けし祈ってくれた。
自分の唇も何度その償いの犠牲に触れたことだろう。
キリストを想うよりも自分の母を想ってしまっている自分の不遜に気付き、改めて聖母マリアの
悲しみに想いが向かう。それも自分の信心深い母の姿を通して成し遂げられている。
神も母にはかなわない。神が自らの母を創造した意志に理解が近付いた気がしてきた。
口寂しく感じるまま蒔絵のボンボニエールに盛られた一口ショコラを一粒つまんだ時だった。
聞き覚えのある声が、私は母の愛した蒔絵のボンボニエールを形見にしたかった・・・と
残念そうに呟くのをオスカルは聞いた。懐しいその声の主はマリー・テレーズ王女であった。
一つも持ち出すことはかなわなかった、と言うと、王女は隣りにあるソファに腰掛け目を閉じて俯いた。
277名無しさん@おーぷん :2016/06/18(土)12:10:37 ID:7jw
オスカルの座るソファと王女の座るソファは向かい合ってはいない。
並んでは置かれてはいるが、どちらのソファも座る者は「レヴィ家の饗宴」を見る形となる。
別に二人が向かい合って挨拶を交わし再会を喜んでも構わないかも知れない。
絵を観賞するためなどに引っ切り無しに色々な人が出たり入ったりしている。まるでその場所は往来の中にあるようだ。
慎重すぎるようだが波瀾万丈な旅路が二人を縛る。相手に聴かせたい言葉も独言のように話している。
魂魄は嬉し涙に溢れ震えながら強く抱きしめ合っているのだ。しかし、この地上の身体は
たまたま居合わせて、そばに座る見ず知らずの二人の貴婦人のように振る舞っている。
マリー・アントワネット王妃は蒔絵に魅了され小箱などを集めていた。
王女もこの不思議な東洋の工芸に魅かれ日本という国のこの魔法に想いを馳せた。
世界の果てのその国に行ってヨーロッパで味わった忌まわしい記憶の全てを忘れたい、
そう言うと、応えるかのようにオスカルが呟いた。
天国よりも遠いその異教の国に行けたなら、
探りたい魔法は金よりも他にあり、それが判れば
この老女にもかめの水を上等の葡萄酒に変える力が湧き上がりそうな気がします。
278名無しさん@おーぷん :2016/06/18(土)21:54:04 ID:7jw
銅に亜鉛を混ぜて黄銅を作り黄金の輝きを偽装する技術は古くからあるが
銅よりも亜鉛の沸点が低いため亜鉛の含有量を高め金の光に近付けることは難しい。
それが今年、銅60%と亜鉛40%の合金が成功し1832年は真鍮発明の年とされる。
オスカルはいくら金に似せても金にはかなわない、金の偽者として輝くより
銅は銅としての美しさを極めるだけ極めればいいと思う。
自分も男の偽者だ。しょせんは女だと悔しい思いもしたし、女としての本性に気付くと安心したりもする。
ラ・フィレットからのアランへの贈物の一つに日本から輸入された棹銅があった。
合金かと思ったがまず銅そのものといっていい金属らしい。
それがとても美しい薔薇色に照り輝いているのだ。
ヨーロッパの鉱山から採掘される銅と変わらないのに輸出する時には薔薇色の銅になって船に積まれ海を渡って来る。
木工を知り尽くしたアランも、今はまだ実際にはできないが、蒔絵なら
仕組みもある程度判るし熟練の職人を育てて未来には再現が可能かも知れないと言い、
だが、どの科学者も棹銅の製法について判らないと言うし、自分も想像もつかないと驚く。
銅を金に似せるより銅のまま薔薇色にする魔法にオスカルも憧れる。
279名無しさん@おーぷん :2016/06/19(日)08:11:23 ID:Em2
アランはラ・フィットのもとへ向かっただろう。祖国フランスをフランスらしく輝かせるために。
王女はロゼを飲んでいる。従者に手で指図をし、もう一つ同じ形のグラスにロゼをつがせ
オスカルのテーブルに置かせた。勧める言葉はないがオスカルも小さくMerci, Son Altesse・・・と言いロゼの入ったグラスを傾けた。
二人称のVotre Altesseを使わず三人称のSon Altesseを使ったのは、二つのソファの間に
フランスと日本よりも遠い距離を感じさせる見えない壁がそうさせたようだ。
二人の目の前にある絵のキリストも杯を満たしている。
周りは着飾りおどけて唄い騒ぐ酔客で溢れているが
この人々のために自身の血を流そうとするイエスは酔ってはいない。
十字架の日、いばらの冠にも衣服にも染まったその血は薔薇色ではなく、
丘の上の刑場を目指し十字架の重さに何度も倒され転び泥まみれの血。
信徒がすがり、讃えてきたのはその色だった。
その想いに至るとオスカルも王女も視線がイエス一人に釘付けになった。
イエスと二人の間の距離が消え、ソファの間の壁も消えた。
イエスの他に描かれた人々も、この部屋の二人以外の人々も見えない。
三人だけが息をし心が一つに結ばれていく。
280名無しさん@おーぷん :2016/06/20(月)23:23:06 ID:EsN
イエスの血管には鮮やかな赤い血が流れていたに違いない。
鞭で打たれて皮膚が破けた箇所からは鮮やかな色が飛び散ったはずだ。
しかし、神としての血とは、それだけではまだ言えなかった。
群衆から罵られ嘲られて十字架を負って進む歩みに血の色が神の色に近付く。
その手足に釘が打たれ吹き出た血が大地に落ちて流れとなり土を染める。
十字架上で、完了した、と言った時、イエスの血はどんなに濁っていたことだろうか。
しかし、そこまで苦しみを成し遂げずにはいられないこの上ない愛の色なのだ。
これが私たちが支えられこれからもすがっていく色であった。
そして、永久に流れ続けている救いの川。この美しさで悦びに満ち、心の目が開いたからには、
金箔や薔薇の花など浮かべてその水面を遮ってほしくはない。
オスカルは静かに立ち上がり、座っている王女の前に跪き王女のスカートに両手を置きスカートを掴んで握り締めた。
そして、Votre Majeste・・・王后陛下・・・と言った。
王女のスカートに落ちた涙はなんの飾りもないオスカルの心、
それがオスカルの混じり気のない本当の色であることを王女もすぐに判った。
王女も涙をためてオスカルの手に自らの手を優しく重ねた
281名無しさん@おーぷん :2016/06/25(土)08:35:49 ID:zfM
フランスでルイ19世はほぼ20分間の王位であった。マリー・テレーズ王女もほぼ20分間の王妃だ。
即位も退位も書類にサインで事務的に終わった。立ち会う人々は速やかな退位を誰もが臨んでいた。
あの時のあの場所には、既にブルボン家の王座が輝く余地は微塵も残されてはいなかった。
だが、今、王女はたった一人だけの臣を従えて歴代で最も幸福な戴冠式を挙げた気持ちになった。
王の王である神なるおかたの御前にそのおかたの臨在を確かに感じながら。
この世の誰の目にも見えない誰も触れられない冠は、王女には全世界より重く限り無く眩しかった。
その王冠の名は「 Grace 」。
自分にはその重さも光も相応しくはないが神はオスカルを通してそんな私にも戴冠して下さったのだ。
フランスのレジティミスムの主流は今日でもサリカ法にこだわる。
スペイン系ブルボン家でサリカ法放棄のために王位を継げなかった血統をフランスに迎えようと考える人たちだ。
王女は、スペインでサリカ法が解消した時に
フランスはもっと早くサリカ法を廃するべきだったと述べた。
そんな経緯からも王女とレジティミストの間には少なからず距離があった。
王女から地上の王位への未練が完全に消え去った。
282名無しさん@おーぷん :2016/07/10(日)12:39:32 ID:7nm
ボルドーのジャン・フランソワのもとに早馬が到着した。
馬を駆り立てて駆け込んだ使者は母オスカルのヴェネツィア旅行で従者を務める夫婦の夫のほうだった。
オスカルがサント・マリー・ド・ラ・メールで倒れ、地元の病院に入院したという知らせである。
プロヴァンスの海岸の町、ローヌ川の三角州カマルグ湿原にある巡礼地だ。
ヴェネツィアで王女からプロヴァンスのロゼを飲ませてもらったオスカルは帰りにこの町に寄りたいと思い立った。
この地方は白馬の名産地で、軍隊時代から白馬を愛したオスカルが
一度は訪れたいと思いながら果たせずにいた場所の一つである。
バスティーユ襲撃の時、銃撃で失った愛馬の故郷もこの辺りであった。
人間の事情からの争い合いに巻き込まれて失った馬の命をオスカルは後々まで悼んでいた。
この生まれ育った広大な湿地でのびのび駆け回って暮らしていたなら幸せだったろうに。
フランス人とフランス人が祖国の中で戦う時代などもう二度と来ないでほしい、あの死んだ白馬の優しい目を思い出し、
そんな祈りをこの土地の聖女、聖マリア・サロメと聖マリア・ヤコべ、
そして彼女たちの従者と伝わる聖サラに捧げ、立ち上がった時に目が眩んだのだった。
283名無しさん@おーぷん :2016/07/10(日)14:24:47 ID:7nm
ヴェネツィアでマリー・テレーズ王女に再会を果たす前まで緊張の日々が続いた。
王女は逢いに来てくれた。オスカルは王女と打ち解けることができ安心した。
その心地よい気の緩みがオスカルの老体を支えていた芯を弱めたのか。
従者の妻はオスカルのそばに付き添い寝る間も惜しんで身の回りの世話に尽くした。
意識を取り戻したオスカルは、サラ・・・と彼女の名を呼び、
迷惑をかけてしまった、申し訳ない、と詫びた。
彼女は恐縮し、とんでもありません、とても素晴らしい旅行を楽しませて頂き感謝の言葉もございません、
そう言いながらオスカルの涙を拭き、
お医者様は旅の疲れからの立ち暗みで大事はないとおっしゃいました、と言ってミルクティーを勧めてくれた。
オスカルも、こんな場所で死を覚悟せねばならぬような大病を患ってはならない、
従者の夫婦に素敵な旅の想い出よりも重い責任のほうを感じさせてしまう、と自らを励ました。
マリー・テレーズ王女は穏やかに余生を過ごすと決めたが、哀れなのはマリー・カロリーヌ王女だ。
がらのよくない過激派に担がれ身を持ち崩しブルボン家からも実家からも疎まれ
起した反乱も失敗し今や不貞の子まで宿しながら獄中にある。
284名無しさん@おーぷん :2016/07/10(日)15:59:29 ID:7nm
オスカルは、床について思いを巡らすうちに気付いた。
プロヴァンスのロゼをマリー・テレーズ王女が用意し自分に飲ませた理由だ。
マリー・テレーズ王女は、野心を抱いてマルセイユに上陸しフランスに潜入するマリー・カロリーヌ王女の動静を知って、
自分をプロヴァンスに赴かせて義妹の助けとなってほしかったのではないか。
だが、計画はあまりに稚拙すぎ、事態は瞬く間にオスカルの手の届かぬ展開に至る。
マリー・カロリーヌ王女は、始め、おなかの子について、
ローマで正式に挙式したパッリ伯の子と供述したが、実は青年弁護士の子である。
たちまち真相は広まり、ブルボン王家との絶縁も決定的になってしまった。
ベリー公との二人の子はマリー・テレーズ王女夫妻が実の父母のような愛情を尽くし育てている。
パッリ伯はそういった経緯も承知で、全ての新旧の権威から見放されたマリー・カロリーヌ王女と結婚した。
オスカルは、パッリ伯という人にアランに通じる熱い誠意を感じる。この伯爵なら、
今度こそ、ベリー公との間に家庭の愛を見つけられなかったマリー・カロリーヌ王女に、
心の底から良い妻になりたい願いを持たせ、我が子に溢れる愛を注ぎ続ける母とならせるだろう。
285名無しさん@おーぷん :2016/07/10(日)16:51:06 ID:7nm
オスカルの枕元のそばに座るサラは、オスカルが、自分が臥せっているこんな時にさえも、王女たちのことを心配し
王女たちの行く末の幸福を願い続ける姿に尊敬の念を禁じ得ない。
あのバシリカにおわします聖サラさまも、二人の聖マリアさまたちにオスカルさまのようなお心でお仕えしたのでしょうか・・・、
思わず呟いたサラの言葉を聴き、今更のようだがそういえばあの王女の二人ともファーストネームがマリアであったかと気付かされる。
しかし、聖サラは二人の聖マリアのそばにずっといただろうが、自分は大事なときに王女のおそばにいてあげられなかったのではないか。
目の前に自分に付きっきりで介護をしてくれているこのサラこそ、
大事なときにそばにいてくれる、自分にとって何よりの友ではないか。
自分は国というものにとらわれすぎて家をおろそかにしすぎてきたように思う。
聖サラはロマの人々が自分たちの守護聖人と崇める聖女でもあった。
ロマ族は国家を持たず国境を越えて世界を放浪する。
国があればあったで国が恵みも災いも呼んでくる。
国のないロマにも国がないがゆえの苦労が付きまとうだろうが
今のオスカルはロマの国境のない自由をうらやむ心に抗えそうにない。
286名無しさん@おーぷん :2016/07/16(土)09:57:07 ID:FWM
思えば、オスカルが仕えた地上のマリアの初めはマリー・アントワネット王妃であった。
マリアという名についてその語源を聞いたことがある。
ユダヤ人を理解したいと志し、ヘブライ語に通じた学者肌の司祭から旧約の原典やタルムードを学んだことがあった。
モーセの姉が名をミリアムといい、それが訛ってマリア、そしてフランス語形のマリーになっていった。
本来の意味については諸説あって「愛された」という古代エジプト語に由来する説などを聞かされた。
そんな諸説の最後に、ヘブライ語で「従順ではない頑固さ」という説も唱えられそうだ、
と、その司祭は、やや遠慮ぎみに、周りに聞こえてしまわぬよう配慮するかのように小声で付け加えた。
誰に従順であるべきか何に頑固であるべきかということが大切だろう。
マリー・アントワネット王妃は神に従順であろうとし、我が子にも敬虔に育ってほしいと
常に貧しい人々に気持ちを向けさせるよう努めていた。
しかし、あの家族の置かれた環境では周囲の屈折による麻痺は免れず、革命の到来は防げなかった。
自分の信じる良心を揺るがす者に対しては上司であろうと従順になれず
命を顧みない頑固な性格は、むしろ自分のほうに強く育った。
287名無しさん@おーぷん :2016/07/19(火)00:31:44 ID:Zx1
サラという名はアブラハムの正妻の名として旧約の中でももっとも重要な女性名といえようか。
ヘブライ語の原典はないがトビト記にもトビアの妻の名として登場する。
普通名詞では、王女や女王、王妃というような意味を持つ。
それが聖なる仕える者としてサント・マリー・ド・ラ・メールでは伝えられる聖女の名。
偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい、という福音を諭される。
もとアブラムといったアブラハムに改名を神が命じたときに妻の名もサラに変えさせられた。
サラに改められる前のサライという名には「喧嘩っぱやい」とか「議論屋」の意味がありそうだ、
という説をあの司祭から教わったとき、自分の若い頃にそんな部分もあったかなと苦笑したが、
むしろ、青年時代のアランを思い出させた。
その若いアランのせいで、自分のオスカルという名前が
ヘブライ語に由来するらしいと長いあいだ誤解させられてしまったのだ。
アランの妹ディアンヌと初めて逢ったときの話の中で、兄からオスカルの名はヘブライ語で神と剣という意味があると教わったと妹が述べた。
自分も何気に感心し、後で確認もせず済ませてしまっていた。
288名無しさん@おーぷん :2016/08/01(月)23:59:05 ID:2zK
アランの早とちりの勘違いかいろいろ立て込んで心身が不安定だったディアンヌの混乱であったか、
オスカルという名前の起源は中東あたりなどではなく北欧の古語に逆上れそうだ。
オスカルより19歳ぐらい年上のスコットランドの詩人でジェイムズ・マクファーソンという人がいた。
彼はスコットランドの古い叙事詩を整理し当時の一般人が読める言語に翻訳し成功した。
その作品「オシアンの詩」はヨーロッパの各国語に訳されナポレオンもファンだったし
ゲーテも自著の重要な箇所に一節を引用したりなどしていた。
当時の貴族には必須の知識として内容を知らなければサロンで恥となる。
その「オシアンの詩」に登場する重要な人物にオスカルという名が見える。
それで、特に学者というわけでもなくともオスカルという名が北の古代を思わせる響きを感じさせるのだ。
フェルゼンなどから聞いた話ではスカンディナビアの古語で神の槍という意味だと聞いた。
だが、スコットランドに亡命した経験を持つルイ18世王からは別の説を聞かされた。
古ゲール語で友という意味があるらしいという。
オスカルはこの友という語源説が好きで自分の中でそういうことにしてしまっている。
289名無しさん@おーぷん :2016/08/02(火)14:30:49 ID:9lN
あの早とちりの声が遠くに聞こえたような気がして目がさめた。
いや夢ではなくその声はすぐに部屋のそばまで聞こえてきた。
オスカルの午睡を破った声は絶叫と言っていいやかましい大声である。何度も何度もオスカルの名を呼ぶ。
息子がパリのアランに知らせたのだろうが、どうにもオーバーで呆れる。
近所にも恥ずかしい。オスカルはうんざりして起きるのをやめ、このまま寝ていることにした。
ドアをけ破るような勢いで部屋に入ったアランは一瞬息を飲んで立ち尽くし
そしてベッドの前に倒れ込むようにオスカルのシーツの上に被さって名を呼びながら泣き始めた。
これは様子がおかしい。アランに自分のことがどのように伝わったのか。
ああッ!オスカルッ!なんで俺を置いて逝っちまったんだぁッ!!
・・・何だ?この男は何を口走りながら泣いていやがるんだ?・・・
俺はパリで知らせを聞いてここにまっすぐ飛んでこようと思ったが、
途中で木工所で棺を作る準備を指示した、サイズは判ってるし、オスカルの棺は他の誰にも作らせやしない・・・
ここまで聞かされるとさすがに狸寝入りも限界だ。
静かに目を開いて沸いてくる怒りを押さえながら、
アラン、重いよ・・・と言った。
290名無しさん@おーぷん :2016/08/02(火)23:09:08 ID:9lN
マグダラの聖マリアが園丁と見間違えた人がイエスだと気付いた時もこんなまなざしだったのだろうか・・・
いいや、あの聖女を目の前の慌て者のじじいと比べては幾らなんでも申し訳ない。
アランは驚いたがすぐに笑顔になり、オスカル、ああ、確かに息をしてる、とうわ言のように見つめる。
オスカルのその息は怒りを含んでいたがアランには気付かない。
オスカルは力なく微笑んだような顔で、ありがとうアラン、と礼を述べ、
白馬の毛並みよりお前の白い歯並びが見られて何より嬉しい、
食いしばってもっとよく見させてくれ、などとおかしなことを頼んだりしてきた。
アランがばかのようにその通りにしたとき、息子のジャン・フランソワがサラと一緒に部屋に入ってきたのだが、
オスカルに殴り飛ばされたアランがその二人にぶつかってきたのはほとんど同時だった。
お母さん、せっかく駆け付けてくれた父さんにひどいじゃないですか、
ジャン・フランソワはそう言いながら、アランを抱え、隣りの空き部屋に気を失った義父を運んで言った。
オスカルはその背中に、いちばん判りやすく私が元気なことを思い知らせてやったんだよ。じゅうぶん休ませてやっておくれ、と笑って言った。
291名無しさん@おーぷん :2016/08/03(水)05:58:02 ID:oPd
ジャン・フランソワが空き部屋に入ると、ドアを閉めたのはアランだ。気絶したふりをしていたのだった。
父さん大丈夫ですか?とジャンが気遣うと、アランは、狸寝入りの仕返しさ、と苦笑し、
オスカルのやつ、怒りに任せて殴ったんだろうが鼻血も出やしない。
若かった頃なら思いっきりの拳一発で大の男の歯を何本もへし折ったもんだが・・・とベッドに座り遠い目をした。
お母さんは激怒してしまったあとで自分に後悔するような人だから、父さんのことも心配しているでしょう。
とアランが無傷なことを隣りに知らせようとするジャン・フランソワを止め、
いや、暫く心配させとけ、俺もオスカルが重態であるかのような伝わりかたで知らせを受けたもんだから、
ほとんどパリからまともに寝てもいない。ダメージがあるのは事実だよ、
と汗などで汚れた上着やズボンを脱ぎ捨て寝転んだ。
ジャン・フランソワは万一を考え医師と看護師を呼びアランの診察を頼んだ。
オスカルは鈍い痛みを覚えながら自分の拳を撫で、アランのやつも年を取ったな・・・と
アランがオスカルの横断で気絶し倒れされたことを意外に感じた。
サラは、オスカルの肩や腕を優しく揉みほぐしながら別のことに驚いていた。
292名無しさん@おーぷん :2016/08/03(水)20:22:22 ID:oPd
パリから駆け付けオスカルの名を叫んだアランの声は病棟の内外によく響いた。
サラは、旦那さまが奥さまの名前を奥さまに向かっておっしゃったのを初めて見ました、と言った。
普段のアランはオスカルに向かってはいつも自然に「隊長」と呼ぶ。
それはよそよそしさからではない。生死を賭けた修羅場の中で
ずっとアランはオスカルをそう呼んでいた。オスカルもそう呼ばれながら戦場を駆けていた。
それがアランのもっとも熱い日々に惚れた女の何よりの本名であったのだ。
サラの夫のトビーがアランの着替えなどを用意しおえてオスカルの病室に来た。
アランさまにも自分がじかに知らせにいくべきでした・・・そう申し訳なさそうに詫び、
そういえば、自分も初めてアランさまが奥さまに名前でお呼びになった所を見ました、と言う。
オスカルも落ち着いてくると恥ずかしくなってきた。
大人の男の体重を感じながら熱く名前を呼ばれたことなど自分にあったろうか、
あったとすればあの夜だ。
アンドレと男女の契りを交わした森は飛び交う蛍も驚かない静かな時が進んでいた、
あの時、アンドレの自分の名前を呼ぶ声はとても安らかだった。
泣きながら相手に名前を叫んだのは私のほうだった。
293名無しさん@おーぷん :2016/08/05(金)12:19:06 ID:EvT
ジャン・フランソワの妻のクレールは、孫を預かったいたので
すぐにはサント・マリー・ド・ラ・メールに来れなかったが、
アランが着いた同じ日の夕方頃にやってくることができた。
オスカルも曾孫を持つような歳になったわけだ。何やら顔を赤くしてにやついている。
クレールと一緒に入ってきたジャン・フランソワは、オスカルの顔の赤いのを見て、
お母さん、まだ怒っていらっしゃるんですか?いい加減に機嫌を直して下さい・・・と困り顔。
だが、ずっとオスカルのそばにいるサラは見ていた。オスカルがもう怒っておらず、怒りが治まったあと、
今、その顔が赤いのは、まるで初恋を知ったばかりの少女が相手を思い出したかのように頬が染まったのだ。
クレールは先にアランの部屋に挨拶をしたあとにオスカルの所に来た。
アランの頬は、残るような痣ではないが、殴られたからだろうか赤く腫れていた。
しかし、来たばかりのクレールは、オスカルがアランを殴ったことや、
アランがオスカルの名を呼びながら激しく泣いたことは知らない。
別々の部屋に寝てるのにお互い頬を同じような色にして、どうしたの?と首を傾げる。
トビーがすかさず、喧嘩するほどの仲の良さですよ、と笑った。
294名無しさん@おーぷん :2016/12/28(水)00:20:09 ID:nEO
「中共政権に見切りをつけて決別(中略)
党の歴史の真実を知ったら、人民は立ち上がり、必ずわれわれの政府を転覆させるだろう」

中国大陸ネットに「日本軍と共謀した毛沢東」の独自評論出現 | 遠藤誉 | コラム
| ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://www.newsweekjapan.jp/endo/2016/10/post6_3.php
2016年10月20日(木)06時30分
295名無しさん@おーぷん :2016/12/28(水)00:20:34 ID:nEO
「毛沢東時代(1949年~1976年)には、ただの一度も、いかなる形でも
抗日戦争勝利記念を祝賀したことがないだけでなく、
南京事件(中国で言うところの南京大虐殺)でさえ、教科書に載せることを禁止した(中略)
毛沢東が率いる中国共産党軍は、日本軍とまともに戦わなかったどころか、日本軍と共謀していた(中略)
中国共産党こそが日本軍を倒したとする抗日神話を創りだし(中略)
戦後秩序の維持を、まるで中華人民共和国が形成したような錯覚を、国内外に広めている」

中国覇権の背景に歴史捏造――ワシントン・シンポでも認識共有 | 遠藤誉 | コラム
| ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
http://www.newsweekjapan.jp/endo/2016/10/post-5_2.php
2016年10月11日(火)16時20分
296名無しさん@おーぷん :2016/12/28(水)00:21:15 ID:nEO
毛沢東
「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれた。
皇軍(日本軍)なしには、我々が権力を奪取することは不可能だった」

中国の「正しい歴史認識」の正体
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/rekishi04.htm

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【中国】中国では『絶歌』出版不可…殺人犯に言論の自由が存在しないワケ[2015/07/04]