- -pv
スレッドの閲覧状況:
現在、- がスレを見ています。
これまでに合計 - 表示されました。
※PC・スマホの表示回数をカウントしてます。
※24時間表示がないスレのPVはリセットされます。

今までのことを書きたい

1名無しさん@おーぷん:2017/02/23(木)20:36:11 ID:ypF()
なんだか最近辛いので……
2名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:45:58 ID:ypF()
幼い頃から親が不仲だった。父親はものすごく忙しい人で、朝帰りどころか会社に泊まって二日目くらいに帰ってくるのがざらにあったもんで、あのころ私は父の顔を見るのがほんとにまれだった。もちろん家庭のこと育児のことは母親に丸投げ状態だった。
母はいつもピリピリしていたように思う。母と二人きりの食事で、魚とか野菜がなかなか食べられなくてもたもたしているとき、テレビをきられて無理やり口の中に料理を押し込まれ、私のご飯そんなにまずい?って言われながら、吐きそうになるのをこらえて必死で食べてたのを思い出す。
3名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)20:55:39 ID:ypF()
私はとにかくできない子で同じ失敗を何回もやったので母はその度怒りくるった。怒鳴られて叩かれて、怖さにごめんなさいもうしませんと言うと、それ何回言った?もうあんたのこと信じられない!と言われてショックだった。
閉め出しくらったことは、昼夜どっちもある。父が助けてくれたり近所の人が助けてくれたり色々だった。
あと昔からずっと母は怒ると無視してくるのでそれも辛かった……
4名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:03:42 ID:ypF()
ほとんど母子家庭&怒られっぱなしだった私にとって、たまに顔をあわせる父はほんとオアシスのような存在だった。父とは夜遅くにしか会えないから、帰ってきたとき偶然会えたらラッキーで、よく遊んだ。
おかげで朝起きられなくて、そのことで母によくいやみを言われた。全然関係ないことで怒られているときも、あんたは大好きな父親と遊んでいられればそれでいいんだよね、大っ嫌いな母の顔なんてもう見たくもないんでしょ?とか、返事に困った。
5名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:13:02 ID:ypF()
父が単身赴任、母が妊娠で、母方の実家に行くことになった。祖父母は初孫の私をかわいがってくれた。
そのとき幼稚園生くらいの年だったんだけど、実家に来てから幼稚園に長いこと行けてなくて、祖母がある日近所の幼稚園に連れてってくれた。そのままそこの幼稚園に通うことになって、かばんとかいろいろ準備もその日のうちに済ませ、家に戻ってから母に報告すると、炎のように怒った。
確かに今考えると、母に何も伝えず幼稚園決めちゃったのはまずかった……。祖父母には見付からないところで無視された。訳も分からず泣いて謝った。なんで怒ってるかわかる?って聞かれたので、泣きながら、ばあちゃんと勝手に幼稚園に行ったこと、と言った。
6名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:23:18 ID:ypF()
弟が生まれて父の単身赴任先にみんなで行った。これからここでずっと暮らすと言われてアパートに住んだ。同年代の子どもがいて、友達ができる!とわくわくしたんだけど、私が途中から来た子どもだったから
なのか、その子にもその子の姉にも冷たくされた。
また新しく幼稚園にも入り、何人かやっと顔を知ってる人ができたところで小学生にあがった。同じクラスにその顔を知ってる人がいるのに気がついて仲良くなろうと試みるもそっけなくされた。
友達がそんなにいなかったので一人で帰ることが多かった。例の同じアパートの子と奇跡的に帰ることもできたが、その子の友達と一緒になっていじめられて泣いてたことしか覚えていない。
7名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:31:04 ID:ypF()
そんなでもしばらく経つと近所に友達ができ、徐々に違う環境の暮らしになじんでいった。
小学三年とかくらいのころに我が家にパソコンが導入された。家では弟が来たことでまた母のいらいらの種が増え、さらにかまってもらえなくなっていたので、ばかみたいにのめり込んだ。2ちゃんねるとかフラッシュ倉庫とかを覗いて遊んでいた。
8名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:39:04 ID:ypF()
さらに学年があがり、なんだかパソコンに飽きて疎遠になった。一人遊びばっかりだったので絵もよく描いていたんだけど、なんとなくやらなくなっていた。
このころ自分の中に自我が芽生えるというか、物心がつき始めるっていうのか、集団の中で、母親の前で、どんな風にふるまえばいいのかを考えるようになった。
それまで暗い、おとなしい性格だったのが、積極的に笑いをとるいじられキャラみたいな感じになっていった。こういう人格でいれば、いじめられることもなくて少し楽になれるし、母親の態度も軟化する気がした。
ちなみに笑いを取りたいあまり嘘をつきまくった。出かけた先で変なカップルを見たとか、なんかあればれてたんじゃないかなあ……
9名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:46:33 ID:ypF()
また学年があがって六年生になった。クラスでまんがの回し読みとかがされるようになって、だんだんみんながアニメとかまんがの話をするようになった。
私はそれまでみんなが見るような、天才テレビくんとかおはすたとかそういうものに詳しくなくって、話せることといえば自分の身の回りのおもしろおかしいこと(ほぼ嘘)くらいしかなかったんで、これはうれしかった。
というのも母親が声優のファンで、アニメと洋画の吹き替えたやつくらいしか見られなかったから、そっち方面にだけは明るかったのだ。
10名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)21:56:09 ID:ypF()
というわけで、いままでなんとなく見てたアニメに注目し始めたとき、ある作品に出会った。めちゃめちゃはまった。周りに誰も知ってる人がいないのにはまりまくった。
パソコンと絵を描く遊びが復活して、同人サイトっていうのを知り友達と作ってみたり、また入れ込んだ。今までも全然だったけど、勉強なんかちっともしないようになって、興味もないテレビを母と弟と仲間はずれの私で見ているのもいやになり、部屋にこもってパソコンばかりやってた。
母が怒って電源を落としに来るんだけど、あの人は全然パソコンに詳しくないから、元から断つってことができなくて、これだけは私を止められなかった。
11名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:05:43 ID:ypF()
このころ学校に行かない時期があった。風邪かなんかで二日くらい休んだら、急に行く気が無くなってまた二日くらい休んだ。もうとっくに風邪は治ってるのに学校に行きたがらないから、具合が悪いわけでもないのになんで休みたいのかと聞かれた。
とっさにお腹が痛いからと言うと、母は全然信じてない様子で私を病院に連れて行った。すると自律神経失調症と言われて、母はもとより、どこも悪くないはずの私もびっくりした。
今ごろになって母は、あのときはお母さんほんとうに大変だったんだから!とよく言う。何回も言うのでうんざりする。
12名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:17:12 ID:ypF()
すっかりオタクになってしまって中学にあがった。
そのときには、好き嫌いがなくなっていろんなものを食べ始め、母親が私を「たくさん食べる」と思い込んで色々出してくるのを断れず、とにかく食べまくっていたから太っていて、見た目もひどかった。
弟もこれにつられてしまって食いまくり、デブの兄弟だった。
ただ精神的にはまあいじめられてるわけでもなく自分はごく普通だと思っていて安定していたし、なんといっても母親にほんの少しだけど反抗心みたいなものもあって、ヒスっぽい怒り方されても負けないぞという強い気持ちを持ってて、それはよかったと思う。
13名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:25:09 ID:ypF()
中学一年のとき一軒家に引っ越しした。工事の人(?)を待ってる間、色々荷物を運んだばかりでまだがらーんとした家の中で、父が私にラジオを聞きたいからCDラジカセを持って来いと言った。CD聞くのに憧れて、ホームセンターで買ってもらったやつだった。
え、こんなところで聞くの?と言ったら、いいからもって来いっ!と怒るように言われた。
私は幼いころの延長で父が大好きだったのだが、このときは初めて父がよくわからなくなった。
14名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:32:57 ID:ypF()
高校は私立を選んだ。成績がずっと悪くて、自分が公立に進めるなんてまったく思わなかった。先生にもこのままじゃ公立は無理と言われていた。
その高校は専願があったからいいと思ったのと、なんとかデザイン科とかいう、パソコンとデザイン(なんとなく絵っぽい響きだった)の組み合わさった科があって、なんとなく楽しそうだった。
母親に言うと、さあ私にはよくわからないから父に言ってといわれた。私立はお金がかかるから渋い顔されるだろうとは思ったが、父だからいいと言ってくれる気がした。
15名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:39:23 ID:ypF()
父に言って、パンフレットを渡した。
父は私立なの?とまず言って、たたみかけるように、で、なんで入りたいの?なにがしたいの?勉強できないからってここに入るの?将来のこと考えてるの?みたいなことを一気に言った。
なんとなくいいと思ったとは言えなかった。というか、なにも答えられなかった。ただ、なんとかデザイン科がいいんだと言った。涙が出たので部屋に戻った。
このころ強く言われるとろくにしゃべれなくなって勝手に涙が出るようになっていた。母親に怒られたときは言い返したいのに言葉が出ず、唸り声あげながら震えているのがふつうだった。
16名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:43:03 ID:ypF()
父は今まで成績のことなんかなにも言わなかったし、ただわたしと遊んだり気分良くしゃべってくれるだけだったから、これには驚いた。私が財布からお金を取ったのがばれたときもなにも言わないで終わったのにと思った。
結局その話はもうしなかった。なあなあのうちにそれでいいことになっていた。
中学の卒業式ではみんな携帯を買ってもらっていてアドレスの交換をしていた。
17名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:49:01 ID:ypF()
高校に入ってまた環境ががらりと変わった。クラスの人がみんな仲良くしているわけでなくて、なんとなくグループに分かれていた。
最初はびびったが、小学校のとき仲良くしていた子がたまたま同じクラスにいたのでその子と絡んだ。その子からはなんとなく同じような生活の匂いがしていて気があった。学校はやっぱり中学より荒んでいた。
このくらいのころから生活習慣や成績についてとやかく言われなくなって、表面上母親との関係が良好になった。
18名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)22:58:05 ID:ypF()
二年になると小学校の子とはクラスが離れて疎遠になった。最初メールのやり取りがあったがやがてなくなった。同じように中学の時の友達とメールのやりとりをしていたが私の粘着質な態度のせいで変な雰囲気になってやめた。
新しいクラスでもまあ友達ができた。その子とはほんとに趣味があってゲームの貸し借りもした。ちなみにその子は二本、私は一本まだ返せてないが、今後関わりがあるとも思えないかな。
ただこの子はうちの母親に少し似たところがあった。
突然なんの前触れもなく、自分の中のなにかによって機嫌を悪くする。そうなると殻に閉じこもってしまって手がつけられないというか、無視が始まる。
これには本当にうんざりさせられた。特に母親のきげんも悪い日は最悪だった。学校にいても母親が側にいる気がする。
19名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)23:08:15 ID:ypF()
三年にあがっても二年のときと同じクラスだから変わり映えなく一年過ぎて、また受験が近づいてきた。
デザインの専門学校に進むことにしたと言うと、父はなにも言わなかった。ちなみにこのときデザインの意味はまだよくわかっていないが、イラストレーション科があるというからなんとなくそこに決めた。
高校三年間を経た私の性格はちょっと変わった。二年生から仲良くしたあの子に似て、物事を斜にとらえるようになったのと、面倒なのが、自分の中で大切にしているものやことを、誰にも知られてはいけないという変なルールができた。
これが後に強迫観念みたいになって、今も自分を苦しめている。ばかだった。
20名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)23:16:32 ID:ypF()
専門学校での生活は驚くほど早く過ぎた。母親によく、あんたは遊んでるようなもんだからいい身分よねと言われたが、はたから見たらほんとにその通りだったと思う。
上で書いた強迫観念にかられて、専門学校では自分の本当にやりたいことをほとんどやらなかった。
だからって真剣じゃなかったわけではなくて、私はここで宿題をすっぽかすとかやるべきことをやらないとか、今までごく自然にやってきたことを改めた。単位とかの問題があってやらざるをえなかったこともあるが……。
大勢の人の前で発表したり、自分の絵を見て評価してもらう機会があるのは、ほんとにやりたいことじゃなかったにしても、色んなものをもたらしてくれた。自信も芽生えた。
将来のことはこの段階に来ても考えてなかったが、もしかして万が一の可能性で、これが私の仕事になるんじゃないかと考えたりもした。
21名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)23:26:07 ID:ypF()
反対に精神的にはだんだん参ってきていた。専門学校では例のごとく一つのグループにいたのだが、このメンバーとどうも合わない気がしていた。
性格的になんだか合わない。高校のとき友達だった子がいっしょに進学したので最初はその子といたが、その子はグループによく溶け込んでいたように思う。
その子が、私のコンプレックスをおもしろおかしく話して、新しい友人と仲良くなろうとしていたのを見て、なんとなくいやになってしまったこともある。
この年になるといろいろ遊びに行ったり旅行に行ったり、友達同士で楽しくやろうといろんな企画が立ち上がったが私はほとんど行かなかった。お得意の「行く気がなくなった」だ。
当時五人でつるんでいたが、だいたい友達が二人同士に分かれて、私は一人だった。会話もはずまない。
22名無しさん@おーぷん :2017/02/23(木)23:35:39 ID:ypF()
あとだんだん、小学四年のころに成立した、いわゆる道化師型の性格を続けるのが苦しくなっていた。
この妙にテンションが高い感じでい続けると、グループのなかで浮く。あと単純になにを言われてもされてもヘラヘラしているのが辛かった。
さらにこの頃くらいから、父の性格がなんか変わったのか、私が変になってきたのか、父親の悪いところがどんどん目についてくるようになった。
食べ物をくちゃくちゃ言わせて食べたり、食事中にスマートフォンをいじり出すのがこの辺りから始まって、人の話を聞いておらず自分のことしか頭になかったり、すぐに癇癪を起こして扱い辛かったりした。
入ったあとのお風呂が汚いこととかなんでもかんでもうるさく音を立てるとかの細かいことも積もり積もって、今はもう昔のように父に接することができない。
23名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)00:09:09 ID:m0J()
この頃から、ふといなくなっちゃいたい、死にたいなあと考えるようになった。特に悪いことがなかった日でも、さっきまで笑ってたようなときでもふいにそう思った。
うちの家は休みの日家族で出かけるっていう暗黙のルールみたいなものがあって、それは私が中一のときくらいに始まった。
最初はジュースとか買ってもらえたし遊び気分で楽しくやっていた。ある時なんとなくどんなものかと、買い物の手伝い(荷物持ちくらいだが)をしたらお菓子を買ってもらえたから、ちょくちょく顔を出すようにした。
でも買い物しに父とスーパーに行っていた母親が戻ってきて、すごい剣幕で、次からは父じゃなくてあんたが買い物に来てと言ってからは、買い出しは私の義務にもなった。
それから遊んでる父や弟を尻目に、買い物に出ることになった。母はまず私に、ああ夕飯が決まらない、ほんとにいらいらする、何か食べたいものある?と聞く。
24名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)00:14:35 ID:m0J()
何か答えると、は?と一息言い、私は大変なの!あんたたちはいいでしょうけど……と始まる。その後、ねえ今日これでいい?と、疲れた感じで聞いてくる。私は一も二もなくうなずく。
春と冬は薄味の(母好みの)鍋、夏と秋はパックの刺身と肉の焼き物に必ず決まる。最後にまた、わたしも疲れてるから……と。これが毎回ある。同じことを繰り返していると拷問みたいだと思う。
母は、父や他の家族に台所を任せない。教えるのが面倒らしい。父は出したものを片付けない、洗いもしない。
25名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)00:36:41 ID:m0J()
とにかくそういうことがあって、今まではそれでもやらなきゃいけないからと出かけていたが、これもまた辛くなり始めていた。
かといって今日は家で休みたいと言っても母親は不機嫌になって一日中無視するし、板挟みのようで苦しかった。
26名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)00:44:23 ID:m0J()
家でも学校でも心が痛むことはあったが、作品を作っていればなんとなく母親やみんなに認められている気持ちになったし、100%孤立しているわけでもなかったし、穏やかに三年すぎた。
就職もぎりぎりまで何もしなかったにもかかわらず、なんとか二社面接して二社目に滑り込めた。
正直嫌な印象があったのだが、こんな身分で選り好みしていられなかった。それにこんな自分が希望の職種につけたことは素直に喜びだった。父がおめでとうと言ってくれた。久しぶりに、父と話して嬉しい気分になった。
27名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)00:58:27 ID:m0J()
二社目に感じた嫌な印象というのは、会社の近所で時間を潰していたときにしつこくからまれた変質者のこととか、面接の時の社長の言葉端に感じた違和感とかとるにたらないようなもんだが今も思い出しては苦しい。
就職してからの私はとみに情けない。デザイン会社に入ったもののこれも本当にやりたいことではなかった。専門学校でデザインとはだいたいにチラシとかパッケージとかの面を作る仕事だと学び、絵と直結するわけじゃないことを知った。
でも先生が絶対に会社で経験を積んだ方がいいと言うし、自分一人でやっていく自信なんてなかったから志望した。
28名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:06:09 ID:m0J()
それに就職活動中の私はポジティブで、会社の壁を超えさえすれば、自分の本当に望んだことをできるような気がして、そのためならどんなことでもがんばるという気概があった。
会社はアパートのようなビルの中にあって、吹きさらしの外階段を登らなければ入れなかった。始めて出勤した日に、始業開始時間になっても誰もいないどころか部屋の鍵も空いておらず、部屋を間違えたのか、あの面接は夢だったのか、と思って慌てたことを覚えている。
しばらくして社長がジュース片手にやってきて、はりきってますねと笑いながら言った。ひどくみじめな気分になった。その後何名かくらいの社員が集まってきてやっと始業した。
その日一日はパソコンに自分の個人情報を登録したり(これは苦痛だった)、人物の切り抜きをして過ごした。
29名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:22:27 ID:m0J()
誰もなにもしゃべらない会社だった。あいさつはなしか消えそうな声で、食事は自分のデスクで一言もしゃべらず、会社ってこんなものかとは思ったが、押しつぶされそうに辛かった。
初日に定時になっても誰も帰らないので、皆さんまだお帰りじゃないんですかとこっそり社長に聞くと、定時が一時間伸びたとそのとき初めて言った。
それ以降にも誰も帰らないからどうすればいいのかわからなくて、社長が帰っていいと声をかけるまでずっといた。
家に帰って涙が出る日がつづいた。情けなくて、母親に見られないようにトイレに涙をぬぐいに行った。
ある日友達が、駅の地下でお昼を食べてるから来ないかと誘ってくれた。愚痴を言い合って安心した。しばらくはそれでもった。
30名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:27:21 ID:m0J()
友達との昼ごはんは私と友達二人とで続いた。あるときから一人時間が合わなくなって来られなくなり、私と一人になった。
だんだん会社での孤独感がつのり、友達に愚痴ばかり聞かせてしまった。その子は、毎日会うのはきついから何日かに一度にしない?と聞いてきた。
会社で昼を済ませるのがきつく、変質者に絡まれたあの場所で一人食べた。ランニングする人たちが不審げに見てきた。
31名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:35:16 ID:m0J()
社員となじむこともなく、もう辞めたくなっていた。親や友達に相談した。母と友達はそれでいいならやめればいいと言い、父親は耐えろと言った。
ある日ずる休みをして、その日以降行けなくなった。保険の登録に必要だから通帳の番号を教えて欲しいと言われ、教えてしまったらもうこの会社から逃れられない気がして、行けなくなってしまった。社長から電話がかかってきて、とりあえず会社に来いと言われ、手続きをして辞めた。
荷物が会社に置きっ放しになっていた。
32名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:40:24 ID:m0J()
母親が今更、ほんとうにやめてよかったのか、せっかくの縁がなくなったなどと言ってきてつらかった。
友達はどこか遊びに行こうとか言ってくれたけど、もう元のようにヘラヘラ会える気がしなくて返事をしないでいるとすぐに誰もなにも言わなくなった。なんだか友達ってもううんざりだなあと思った。
会社を辞めてすぐ、昼間に一人でポケモンの映画を見ていたら涙が出て止まらなくなった。そのあとほんのちょっとしたことで涙が出ることがつづいた。
33名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:46:27 ID:m0J()
もう就職とかしないで、このまま死にたいと思い、二ヶ月ほど過ごした。母親は次の仕事にそろそろいけるよねとか、働きたくないの?働きたいんでしょ?とか言ってくるようになり、夕飯どきに居間に行くのが苦しかった。
私が話すことがなくなって食事時を盛り上げられなくなってしまうと母は不機嫌になり、外に出ないから話すこともないでしょ?となじった。私はなにか話すと就職のことにつなげられてしまうと思って、なかなか話ができなかった。
34名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)01:55:26 ID:m0J()
小さい頃と同じように、母親におびえるようになった。
あるときかなり気分の落ち込むときがあって、ちょうど母も不機嫌で、会話がないときがあった。母が話さなければ私も話さない。話しても返事をもらえないからで、昔からずっとそうだった。
ひどいとき二週間くらい無視されていたので、今回もそうかと思って話さないでいた。弟は母に甘やかしてもらって母の味方なので、私が母と話さないと弟まで私を無視し始めた。
それが続いて、父がいる休みの日にいきなり呼ばれた。
35名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:03:32 ID:m0J()
私が居間に来ると、母は開口一番、あんた一体なんなの?と言った。例の癖で私は失語した。いきなり不機嫌になって、みんなのこと無視して!と言われた。
父のことはこのころからさらに不愉快で、ほとんど話さない日が続いていた。
父は、これは昔からなのだが、母が子どもに怒っているとき、なんでもないようにテレビを見たり携帯やったりと無関心だった。今回もで、自分には関係ない風を装っていたが母に水を向けられて、仕方なく私に話しかけた。
36名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:08:25 ID:m0J()
そのときの様子を見て、この人はこういう人なんだとなんだかうんざりしてしまった。母は弟にも、ねえ、お前はどう思うと聞いた。弟は、知らないけど、みんなを無視するのは駄目だと思うと、胸を張って不機嫌に言った。
私はこれまでこんな人間だけど、弟の前では姉としてプライドみたいなものがあった。幼いころたたいたり怒鳴ったり、母と同じことをしてしまったけれど、こうして二十も超えた今、なるべく優しく姉らしくしようと努めてきた。
それが一気に裏切られたような気がした。
37名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:15:09 ID:m0J()
母と弟の刺すような視線の中、父はとりあえずここに来いと、居間の真ん中の母の席に呼んだ。あんまりだと思った。動き出せず、涙が出た。
しばらく無言だったが私は自分の部屋に逃げた。父がなにか言い、母が大きな声で、じゃあなんて言えばよかったの!?とヒステリーをおこしてるのが聞こえた。いてもたってもいられず居間に戻った。
父が、お前みたいなのが会社にもいる、大したことじゃないからカウンセラーを受けろという。怖かった。もう少し自分で頑張ると、なにを頑張るのかもわからず言った。父はすぐにじゃあそうしろと言って、またテレビを見始めた。
38名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:18:33 ID:m0J()
母親とはそのあともギスギスしていたが、母が私が悪いと思っているのなら、自分から話しかけてもうこの状態を終わりにしようと思い、買い物を手伝い、そのときに、私もうちょっとがんばってみるから、もう少しこのままでお願いしますと言った。
母は、何をがんばるの?と冷たく返した。会話はそれでおしまいになった。
39名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:22:58 ID:m0J()
それからどんどん無気力になって、私が一日にやることといえば母の機嫌が悪くならないようにへらへら振る舞うだけになった。こんなんじゃいけないと思い、今度こそほんとうに自分のやりたいことをやろうと思ったが、それがどうしてもわからなかった。
絵をやろうと思っても、やりたい気持ちがわかず、机に座っては離れるの繰り返しで、最近は寝てばかりいる。
40名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:35:51 ID:m0J()
のんびりやればいいとネットに書いてあったりするけど、もうすでに二年も経って、そんなこと言ってられないと思う。死ねばほんとうに楽になれるとも思う。
母親と二人きりの空間が辛い。私みたいにならないでほしいと思ってたはずの弟が、楽しく友達と遊んで帰りが遅くなったりすると、早く帰ってきて欲しいと思ってしまう。
わたしは母が喜ぶから、毎日へらへらして、母の求めることを必死で考えて話し、遊びに行っても五時には帰ってきて、あげくこんなふうになってもいつも同じ内容の母親の職場の愚痴に相槌打って、
機嫌の悪いときには物音ひとつ立てないようにしてるのに、まだ私になにかしろっていうのかと、理不尽すぎることを考えてしまう。
41名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:40:56 ID:m0J()
いざとなって母親の味方ばかりする弟や、私が本当に必要としていたときにいないで、今更さっさと帰ってきて私の時間を邪魔する父親が憎く思えるときもある。
でもけして悪いばかりの家族ではないことを思ったら、自分の今がほんとに甘えのような気だってする。
今はただ、自分の絵を描きたいと思うけど、それも自分の本当の気持ちなのかよくわからない。
42名無しさん@おーぷん :2017/02/24(金)02:48:07 ID:m0J()
毎日破裂しそうな風船を抱いてるような思いで過ごしている。急に浮いてなにかできそうな気持ちになったり、何もできないほど沈んでることもある。
一生こんなことを誰かに言ったりしないだろうと思う。例の癖のせいで、後からものすごい罪悪感に苛まれるような気がする。明日は母の機嫌がよかったらいいな〜、おわり

新着レスの表示 | ここまで読んだ

名前: mail:





今までのことを書きたい
CRITEO